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箱根の坂− 司馬遼太郎

出張中から司馬先生の「箱根の坂」を読みだしました。

でも、出張中はがくっと寝てしまい、

ようやく今日、読み終わる。

司馬先生ははずれがないですね。

 

今まで上からの支配の形態の違いなんて

あんまり考えてなかったのですが、

いろいろ違いが有るもんだなーなんておもいます。

 

こちらNigeriaでは各村々にSarkinと呼ばれる

いわゆる村長さんのような人がいます。

で、村なの中でも地域の中核となるところには

Hakiminと呼ばれるいわれる郡長さんがおります。

さらにその上にさらにSarkinとかEmireとか呼ばれる

その地域を統括する王様がおります。

これがはまったく国の政治とは別に

伝統的な行政区分として存在します。

 

KanoにはKano州の知事もいますし、

KanoのEmireもいることとなります。

日本の天皇制みたいですが、

連邦レベルではそれにあたる人はおらず、

(国のなりたちとしてあたりまえか・・・)

一方で、州、郡、村レベルでは維持されており、

国から予算もついているとのこと。

 

で、Satoの理解ではこのHakiminやSarkinは

結構な尊敬を勝ち取っており、

いろいろな取りまとめにあたるとおもってましたが

いまいちそこまでの存在でもないような。

もちろん影響力はありますが、

ものお分配を公平にするかといえば・・・、

とある、村人からは独り占めにすると悪口を言われたり・・・。

 

なんだか、よくわかりませんが、一部では

制度だけは残っていて、ある意味象徴として

機能しているようなちょっと幽霊的なところもあるようです。

村々やそのSarkinやHakiminの人となりにもよるのでしょうが、

なんとも不思議な存在であると感じました。

 

んで、同じようなよーわからないけれども、

便利だから存在している身分制度というのが

うまく表現されているのがこの本だなーとおもった次第。

 

きっと、今の世も同じような不可思議な身分制度や

支配制度があっても当の支配されている側は

なぜかそれが当然とおもっていて、

後の世代からはなぜそんな状態に甘んじている?と

疑問を持たれたりするんでしょうねー。

| Sato | 読書 | 13:13 | comments(0) | - | -
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